私たちは、自分を一個の生命体だと思っている。人間も、犬も、蟻も、それぞれ独立した「個体」として存在している。しかし、時間軸を加え、遺伝子の視点から、その見方は大きく変わる。
今存在する一つの遺伝子は、突然そこに現れたものではない。それは必ず、過去の生物から受け継がれたものである。親から子へ、さらにその子へ。その連鎖を過去へ辿っていけば、無数の生命の世代を経て、やがて現在の生命へつながる巨大な系譜に行き着く。
遺伝子とは、生命の内部に保存された情報である。DNAの塩基配列は複製され、世代を越えて伝達される。ただし、そのコピーは完全ではない。突然変異が生じ、遺伝子の組み合わせが変化し、自然選択や遺伝的誤差などによって、ある遺伝子は残り、ある遺伝子は消えていく。
ここに、一つの壮大な生命の姿を見ることができる。
例えば、目の前を歩く一匹の蟻を考えてみよう。その蟻は単独で生まれた存在ではない。その身体を構成する遺伝情報には、幾億年にも及ぶ生命の歴史が刻まれている。蟻の祖先、そのさらに祖先、そのまた祖先――無数の生命が生まれ、繁殖し、死んでいく過程の中で、現在まで伝わった情報だけが、その身体の中に残されている。
この意味で、蟻は「生命の網の末端」に存在する生きた記録でもある。
そして遺伝子は、個体の死によって必ずしも消滅しない。生殖によって次の世代へ渡れば、その情報は新しい身体の中で再び生きる。親は死んでも、遺伝情報の一部は子へ移り、子から孫へ、さらにその先へと流れていく。
したがって、個体を時間から切り離して考えるなら生命は無数の点に見える。しかし、時間を一本の軸としてつなげれば、それらの点は線となり、さらに無数の線が分岐し、融合した巨大なネットワークとなる。
そのネットワークの最深部には、必ず生命の共通祖先へと繋がる。
私たちは生命を個体と見たが、「何百億年もの間、途切れながらも受け渡されてきた遺伝情報の巨大な生命体」と見ることもできる。
個体は生まれ、成長し、その個体の遺伝子はさらに未来へ遺伝子を繁衍し、自分を生きたリンクの網に残る。
もし最後の子孫が途絶えれば、生命の起源につながった膨大なリンク網は一つの生命体として絶滅になる。
生命は、個体が永遠に生きることではない。個体の死による、遺伝子は進化し続け、遺伝子は永遠につながる、遺伝子の生命体は生き続けている。
そして私たち一人ひとりは、その巨大な生命の網の上に、一瞬だけ現れた一つの結節点である。